スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

わかったこと。

清志郎の葬儀にいってきました。


青山ロックコンサートってことになってました。
会場には、バルーンがあったり、ファンと写真とれるようになってたり、

とにかく明るくっていう主催の愛が溢れてました。
完璧な仕切りでした。

本当は、一番ものすごく哀しみにくれるべき、清志郎のブレーンの皆さんの努力に脱帽。



NEC_0837.jpg

NEC_0838.jpg

NEC_0839.jpg







マイミクのひげこじさんの仕切りにて、これまた早い段階で、会場に入れ、1時間も待たずに献花してきました。


途中、ヤッコさんもも関係者パスをあげようと電話くれたり、みんなの優しさにありがとう。



それにしても、すごかったよ。
青山1丁目の駅まで列ができてた。みんな終電までに会えたのかな。




今回の死は、
ショックだけど、清志郎に心の底まで預けきって、すがっていたというファンではないので、

お別れというか、お礼というか、そのどっちでもなく、何かを確認したいという思いでいきました。




位牌の後ろには、骨になってハコに入っている清志郎がいて、さすがにそれには、がつーんっとなりました。


もうその形とそれは、箱入りの骨になってました。
肉体はもうなくなっていました。




会場では、ずっと曲が流れてて、それをききながら、ぼんやりと考えたのですが、


あいかわらず、彼の曲は、心に染みて、
でもそれは、故人だから、もういない人だから、染みるのではなく、
ここにいてもいなくても、心に染みるわけで。

新しい曲は聞けなくなるけど、
変わらずこれまでの曲は、自分には染みるわけで。
CDやラジオ、色んな媒体から流れる曲は、生きた歌として、いつでも心に響くわけで。



私には、変わらないんだなと思いました。





そういうことが、自分の中ではっきりしたので、手を合わせるでもなく、さよならをいうわけでもなく、
じっとそれを、箱入りの骨になった清志郎をみつめつつ確かめてきました。


だから、さようならも、ありがとうもあえて言わない。



ありがとうは、これから、曲を聴く色んなシチュエーションで、その時々で、その曲に色んな「ありがとう」をいうのでしょう。



それも、変わらないよ。






遺影の会場内では、さすがに写真はとれなかったな~。
ライブだったら、とらないじゃん、普通。

個人の自由だけど、私は自分が出る側だから、それやられると気持ち悪いし、つか、なんかそんな気にはなれなかったよ。


大事なものと出来事は、自分の目にきちんと焼き付けつつ、会場を後にしたのでした。







NEC_0836.jpg





昨日は、完璧な満月で。

緑川みらの嬢曰く、この5月の満月というのは、神々が最初に地球に足を踏み入れたとても特別な満月らしく、
ものすごくいい気がでてるんですって。

なので、月光浴をするととてもパワーをもらえるらしく、
なぜかこの日は、花園神社で、女子高生みたいにミスドとコーヒーもって、みらのと二人で、月光浴しながら、だらだらと話しこんでしまった。





いい気を月から、もらえたかしら。







そんなわけで、変わらないこれからを。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。